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2.E・A・ポーと探偵小説の誕生

——犯罪小説から探偵小説へ


 1841年4月。エドガー・アラン・ポーが《グレアムズ・マガジン》に「モルグ街の殺人」を発表し、ここに探偵小説の歴史がはじまった。ジュリアン・シモンズがいうように、「エドガー・アラン・ポーこそ、探偵小説の争う余地のない父である。」(『ブラッディ・マーダー』)

 ポーは、現在我々が「探偵小説」として認識する小説のスタイルを確立した。それは、センセーショナルな要素(犯罪・恐怖・夢想)と分析的要素(理性・謎解き)を調合した「両義性の文学」(『推理小説論』ボアロ=ナルスジャック)である。

 ポーが書いた探偵小説は、「モルグ街の殺人」(1841)、「マリー・ロジェの秘密」(1842)、「盗まれた手紙」(1845) の三篇のオーギュスト・デュパンもの、それに周辺作品の「黄金虫」(1843) と「お前が犯人だ」(1844) の五編である。ポー自身はこれらの作品を ratiocinative tales (推論の物語)と呼んでいたが、このジャンルの作品を1841年から1845年まで、おおよそ年に一編づつを書きづつけたわけだ。(注1)これらの作品について、簡単に内容を紹介しておこう。

 「モルグ街の殺人」はパリに住む高等遊民デュパンと「わたし」が、アパートの鍵のかかった部屋で惨殺された母娘の事件に乗り出し、意外な犯人を見つけ出す。奇矯な性格の天才探偵、ずさんな警察の捜査と間違った容疑者、密室殺人、手がかりの分析による推理、読者の意表をついた犯人などがすでにあらわれている。

 「マリー・ロジェの秘密」はニューヨークで実際におこった殺人事件を、舞台をパリにかえて小説化したもので、「モルグ街の殺人」でも一部見られた新聞記事による推論が徹底して行われ、探偵が犯罪現場にいかずに事件を解決する安楽椅子探偵の手法がとられる。

 「盗まれた手紙」は、警視総監じきじきの依頼で貴婦人のスキャンダラスな手紙を悪党の手から取り戻す話である。デュパンと同程度の知能をもった敵との頭脳戦は、名探偵対名犯人の原型であり、心理的な盲点をついた隠し場所、機知をきかせた解決法など、のちの短篇推理小説のお手本のような作品に仕上がっている。

 「黄金虫」は都会を離れた小島を舞台して、探偵役の奇妙な行動、暗号の解読、森や沼地の冒険、海賊の宝等々、冒険探偵小説の要素が盛りだくさんの作品だ。「お前が犯人だ」は田舎町の富豪の死を背景に、意外な犯人や、死体が起き上がって犯人を指摘するという怪奇趣味をあつかっている。

 これらの作品により、ポーが確立した探偵小説のスタイルは以下のようなものである。

 これに加えて、のちの探偵小説の多くが利用する次のような「推理の原則」や探偵法、謎の種類や設定などがすでにあらわれている。

 ポーの五編の作品の位置づけとして著名なのは、ドロシー・L・セイヤーズが「犯罪オムニバス/序文」でおこなっているものだろう。

『黄金虫』を一方の端に、『マリー・ロジェー』をもう一方の端におき、他の三編をその中間に位置させて、ポオは探偵小説の進むべき岐路に立っているのである。そこから出た発展経路は二つに分かれている。一つはロマン派、もう一つは古典派である。あるいは、それほど誤用されていない、すりきれていない言葉を使えば、純センセーショナル派と純知性派である。(訳文は『推理小説の美学』田中純蔵による)

 これはポーの作品の位置づけであると同時に、その後の探偵小説の流れをも示している点ですぐれた分析である。江戸川乱歩もこのセイヤーズの意見に賛同して探偵小説を分類しようとした。ポーがおこなったセンセーショナルな要素と知的な要素の結合を、もう一度要素に分解して、どちらの要素が強いかによって分類しようとする試みである。

 セイヤーズは、次のように分類する。

 もうひとつの古典的な評価は、ハワード・ヘイクラフトが『娯楽としての殺人』(1941) で提示したものである。ヘイクラフトはまず、「黄金虫」と「お前が犯人だ」を探偵小説ではない、とする。

「黄金虫」は、しばしば不注意にも探偵小説といわれている。みごとな小説で、ミステリーと分析の傑作ではあるが、これは探偵小説ではない。なぜなら、レングランドのあざやかな推理の根拠となっている事実は、読者に解決があたえられた後まで(「後まで」に傍点)伏せられているからである! 同様に、ポーの他の作品「お前が犯人だ」も除外される。

 そのうえで、デュパンもの三編を次のように位置づける。

最初の小説は、厳密にではないが、探偵小説の物理的タイプの実例である。次のものではポーは逆に極端に心理的な方向をとっている。そしてこのふたつの欠点を(——おそらく)おぎなうために、作者のうちなる芸術家は第三の小説で均衡のとれたタイプをもとめざるをえなかったのだろう。

(「モルグ街の殺人」について)本をみないで物語りを思いだしてごらんなさい。一体どの部分がいちばん鮮やかに思いだされましたか? さよう、諸君は一対十の割でもって、犠牲者の髪をひきずっている人殺しの猿か、またはそれについての物すごい光景を思いうかべるに違いない。さてつぎに自問自答してみるとよい。いったいどんな推理の連鎖によって、探偵は決論に達したのかと。あなたが専門家でないかぎり、多分思いだすことはできないでしょう。換言すれば、この小説は実際は例の刺戟的な物理的事件のほうがたちまさっているのであって、いかにポーが巧みに考えあげたとしても探偵推理していく筋道がまさっているわけではないのである。

(「マリー・ロジェ」は)不幸にもあまり注目にあたいしない。それは小説というよりエッセイとでもよんだほうがよい。(中略)生きた血液をもっていないのだ。(中略)普通の読者はひとりとして犯罪事実をも、探偵が多少疑わしい結論にまでたっする過程をも、思いだすことができないという答えがでるだろう。あまりにも複雑でひからびてしまった心理的すぎる探偵小説の見本——しかがってその種の弱点の証拠品でもある。

(「盗まれた手紙」は)構成上からも美学上からも、もっとも満足すべきものである。(中略)ここにわれわれは、均衡のとれたタイプの——つまり最上の探偵小説をもったのである。(『娯楽としての殺人』p15-19)

 「物理的タイプ」「心理的タイプ」という言葉は、訳文のせいかはっきりイメージできないが、説明を読むかぎり、事件そのものに重点がおかれているか、推論に重点がおかれているかという区別だと思われる。「モルグ街の殺人」(事件に重点=センセーショナルな要素)と「マリー・ロジェの秘密」(推論に重点=知的な要素)を両端において、「盗まれた手紙」を両者の中間におき、均衡のとれたものが最上の探偵小説とする評価である。

 ここで興味深いのは、セイヤーズが「目の肥えた人には一番面白い」といった「マリー・ロジェの秘密」を、ヘイクラフトは「その種の弱点の証拠品」と一蹴していることだろう。たしかに新聞記事の分析が延々とつづくこの作品は、小説的な面白みに欠け、江戸川乱歩が「あの微に入り細を穿った、退屈なほどの詳細を極めた論理というものは、結論の為ではなく論理の行程そのものを楽しむ性格でなくては書けない所であろう。(中略)読者のほうも同じ推理マニアでなくては、この小説は楽しめない」(『海外探偵小説 作家と作品』)と述べているように、センセーショナルな要素にとぼしいように見うけられる。

 しかし、忘れてはならないのは、「マリー・ロジェの秘密」が題材にしたのは、当時のアメリカでセンセーショナルな話題を呼んでいたメアリー・シシリア・ロジャース殺害事件という現実の事件だったということである。野口啓子・山口ヨシ子編の『ポーと雑誌文学—マガジニストのアメリカ』(2001) の第一章「大衆と芸術の狭間」で野口啓子は以下のように述べている。

 それは、ジャーナリズムにおける扇情主義時代の幕開けを意味したのである。(中略)ポーは、いわば、扇情的なジャーナリズムと女のセクシュアリティを利用して、一儲けしようとしたといえるだろう。

 また、これは「マリー・ロジェ」だけではないにしろ、同書の第二章「ジャーナリズムと美女の憂鬱」で山口ヨシ子がこう述べている。

 ポーの推理小説は、センセーショナルな新聞報道に大衆読者が群がる当時の社会風潮のなかから生れたものである。「秘密の逢瀬」「心中」「恐怖の事件」「残虐な殺人」のような活字が日々新聞を飾り、安い娯楽を求める大衆が終日そのような記事を読んでいるという風潮である。

 すなわち、純粋推理の作品でもっとも知的なもの、センセーショナルな要素のない作品と思われた「マリー・ロジェの秘密」ですら、当時の扇情主義ジャーナリスムに便乗して書かれた作品だったのである。ポーのこの意図が、当時の読者に対し成功したのかどうかはわからない。しかし、ここでポーが導入した「実話的センセーショナリズム」は、他の作品に比べて急速に色褪せてしまい、その「センセーショナル的要素」が意味をなさなくなってしまったことは確かだろう。


(注1) 『娯楽としての殺人』によれば、「盗まれた手紙」が収録された本、『ザ・ギフト 1845年版』は、その前年の1844年に出版されているという。 (本文に戻る)


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