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■ミステリの歴史■


3.イギリス 1850年代〜1860年

(3)ヘンリー・ウッド夫人とレ・ファニュ


 コリンズが「世界最初の長篇探偵小説」と言われることもある『月長石』を発表したのは1868年である。この作品に触れる前に、1860年の『白衣の女』からはじまったセンセーション・ノヴェルのブームの中で書かれた、その他のセンセーション・ノヴェルの作家たちとその作品について述べておきたい。といっても、コリンズ以外のセンセーション・ノヴェルはほとんど翻訳されていないので、いくつかの参考資料に書かれているものをまとめるみることにしよう。

 セイヤーズは「犯罪オムニバス/序文」の中で、1860年代から70年代に探偵小説的な作品を書いた作家の中で、特に名をあげるべきなのはヘンリー・ウッド夫人(1814-1887)とJ・シェリダン・レ・ファニュ(1814-1873)とウィルキー・コリンズの三人である、と述べている。

 ヘンリー・ウッド夫人はウースター生れで、旧名はエレン・プライス Ellen Price。1836年に外交官のヘンリー・ウッドと結婚し、それから20年間を海外で過ごした。イギリスに戻ってから小説を書き始め、処女作は Danesbury House (1860)。翌年発表された『イースト・リン』 East Lynne (1861)はセンセーション・ノヴェルとして好評を博し、数回にわたり劇化されている。

 『イースト・リン』の筋は次のようなものであるらしい。

ありそうにないほど完璧な夫のもとから駆落ちした女性イザベラが、その駆落ち相手の誘惑者レヴィスンに捨てられ、死んでいく物語である。我々の同情がすべてこの女性に向かうのは、彼女がそれほど苦しみ、また男女間の二重標準だそれほどはなはだしいからである。堕ちた妻は二度と回復しない。だが、夫はなんのとがめもなく不正な行為ができる。(メリン・ウィリアムズ『女性たちのイギリス小説』p284)

このロマンスの大がかりな骨組の中には、巧みに組み立てられた殺人事件の謎が織りこまれている。(中略)興味の焦点は、推理や調査の過程よりも、事件のこうした劇的発展におかれているとはいえ、それらの過程も決してなおざりにされているわけではなく、明瞭且つ論理的にたどられ、最後に蒐集された証拠が次々と法廷に持ち出されるところで、この推理テーマは頂点に達するのである。(『推理小説の歴史』)

 セイヤーズによれば、ウッド夫人の「最上の作品ではプロットの組立てにすばらしい技倆のほどを示している。扱う事件が、遺言状紛失であろうと、相続人失踪であろうと、殺人であろうと、家にかけられた呪いであろうと、物語はいささかのゆるみもなく展開してゆく。神の手をかりて、偶然という剣で筋の結ぼれを一刀両断にしたがるきらいはあるが、その秘密はすぐれた腕前を見せてすこしの矛盾もなく、あますところなくきちんと解きほぐされてゆく。(「犯罪オムニバス/序文」)」しかし、それでもその作品は「純探偵小説とはちがった、メロドラマと冒険味の方向に発展した犯罪小説を代表する存在(同前)」なのだという。

 A・E・マーチも同様の指摘をする。

「イースト・リン」の成功は、女流作家の地位子に直接影響を与えたばかりでなく、「扇情小説家」一般に対しても、特にプロットの構成の点で大きな影響を与えた。その結果、多くの女流作家は争ってウッド夫人の作風を模倣した。が、彼女に倣って、広大な領地と献身的な召使と風変りな親戚と、華やかな社会的行事に身辺をかこまれた貴族階級の家庭事件を描くことは、それらの作家にもできたろうし、また謎の犯罪をそれにからませて三巻乃至四巻の長篇を書くことも困難ではなかったろう。しかし、読者を真に納得させるような推理的テーマを創造し発展させるには、おのずから別種の才能が必要であった。しかも大部分の作家は、犯人の告白を通して謎の説明を行い、同時に犯人を自殺させてしますという安易な方法をとることで、満足したのである。このようなプロットの構成からは、探偵の出てくる余地はほとんど(あるいはまったく)なかったにちがいない。(『推理小説の歴史』)

 この「犯人の告白を通して謎の説明を行い、同時に犯人を自殺」させる解決は、現在の推理小説でもたまに見受けられるが、その源流はこんなところにあったのである。そう考えると、「探偵小説」とは別物とはいえ、こうしたセンセーション・ノヴェルの手法は今に至るまで、広い意味でのミステリー小説の流れの一部に生き残っている。

 ウッド夫人は生涯にわたり三十作をこえる長篇小説と多くの短編小説を書いた。後年、雑誌 Argosy (著名なパルプ・マガジンとは別)の編集に携わり、同誌に発表した短編には、多少の探偵小説味のあるものもあった。

 『娯楽としての殺人』には「イギリス 1890-1914」の章に名前が挙げられ、短編シリーズのジョニー・ラドロウものの「少数はクランフォード風(注1)な背景の一連の家庭的な探偵事件をみせてくれる」とのみ記されている。セイヤーズの『犯罪オムニバス』第1集に収録されている「黒檀の箱」にも、弁護士ジョニー・ラドロウが登場する。田舎の屋敷でおこった、大事な宝物を入れた黒檀の箱の紛失事件をあつかったものだが、紛失の原因もその解決も全くの偶然にたよっていて、ジョニー・ラドロウが事件の謎を解くわけでもなく、いわゆる「探偵小説」とはいえない。作品の興味は、事件をめぐっての人々のあわてぶりや人間関係の変化にある。ジョニー・ラドロウ・シリーズは1874年から1899年までに6冊の短篇集が出ている。

 ウッド夫人の作品は、死後の1890年代になっても新しく刊行されているようだから、世紀末にかけて長く人気を保っていたようである。しかし、現在日本語で読めるのは、前記の中篇「黒檀の箱」のほかは、短篇「エイブル・クルー」だけのようだ。


 J・シェリダン・レ・ファニュはダブリン生れのアイルランド作家で、日本では「吸血鬼カーミラ」「緑茶」などの怪奇小説で知られている。ジュリアン・シモンズも「彼が執筆に携わった時期は、ゴシック・ロマン(注2)の流行期を過ぎて半世紀も経っていながら、その作品はなおかつゴシック・ロマン風と呼べるものである。地方の旧家の広大な屋敷とか、荒廃の極みに達した古城とかがたびたび登場し、女主人公はしばしば無慈悲で強欲な悪人どものなすがままになる。(『ブラッディ・マーダー』p86)」と述べている。

 この作家をセンセーション・ノヴェル作家に含めるのは不適切だろうか。しかし、彼の代表的な長篇小説は1860年代のセンセーション・ノヴェルのブームの最中に、ヘンリー・ウッド夫人の作品と同じベントリーから出版されているし、日夏響の「レ・ファニュ覚えがき」(『ワイルダーの手』解説)によれば、「”英国を舞台とする現代物”というベントリーの注文に応じた『ワイルダーの手』を皮切りに(中略)、レ・ファニュは、当時のセンセーション・ノベルに適用された同社の規範に従って、殺人、自殺、二重結婚、夢遊病、精神病院、債務者の監禁等、ヴィクトリア朝的悪夢を主題とする小説群を書きまく」ったとあるから、センセーション・ノヴェルの文脈で捉えてもあながち的外れでもあるまい。

 レ・ファニュの作家暦は古く、学生時代からすでに雑誌を編集し、作品を発表していた。その頃の作品に「アイルランドのある伯爵夫人の秘めたる体験」Passage in the Secret History of an Irish Countess がある。《ダブリン・ユニヴァシティ・マガジン》1838年11月号に発表されたこの短篇は、長篇『アンクル・サイラス』の原型らしいが、じつは世界最初の密室殺人をあつかった小説なのである。(注3)

 『クイーンの定員』でエラリイ・クイーンはこの作品を、別題である「殺されたいとこ」 The Murdered Cousin が収録された短篇集の出版年(1851)をもとに、ポーとザングウィルとのあいだに書かれたいくつかの密室小説のひとつとして紹介している。冒頭で提示される謎は、死体が発見された部屋は内側から二重に施錠され、唯一の脱出ルートである窓は閉まっているうえ、高いために中庭にはとても降りられないというもので、したがって自殺と判断されるのである。もちろん、これは巧妙に仕組まれた殺人であり、密室への侵入と脱出の方法は、物語の後半にヒロイン自身が同じ手口で殺されそうになって判明する。したがって探偵小説とはいえないが、密室のトリックは抜け道などではなく、原始的ではあるが効果的な機械的な方法によっている。

 これからすると、レ・ファニュには怪奇現象への興味と同時に、一見超自然的に見えるがじつは合理的な解決がつくような「謎とその解明」というモチーフへの興味も、当初からあったのである。

 『吸血鬼カーミラ』の平井呈一の解説によると、レ・ファニュの長篇小説には以下のような欠点があったという。

 しかし、その欠点をおぎなってなお、「かれがひとたび怪奇を語り、恐怖を描くときのその神技ともいうべき手腕」は賞賛されていて、三大傑作といわれる『墓地に建つ家』(1863)、『アンクル・サイラス』(1864)、『ワイルダーの手』(1864)は、指摘されるような欠点がないのだという。

 しかし、今回、シモンズが「これこそレ・ファニュが推理小説の分野にもっとも貢献した重要な作品である」と推す『ワイルダーの手』を読んだのだが、まさに上記の欠点がそのまま出ている作品であるように思われる。悪役スタンリー・レイク大尉と放蕩貴族マーク・ワイルダーの間に、ある夜なにか秘密の出来事がおこり、それが何かという謎が作品を通して維持される。結婚をひかえていたにもかかわらず、その夜以降ワイルダーは失踪し、海外から手紙だけが届くようになる。探偵小説としての要は、登場人物たち(と読者)がワイルダーが死んだと思い始めたとき、ふたたび彼が姿をあらわすシーンにあるが、それはもう長篇の終わり近くなのだ。真相は現代の読者がもっとも最初に想定するようなものである。一人称記述がさしたる理由もなく三人称に変わってしまったり、先祖の幽霊と思ったら屋敷で養われている狂人だったり、肩透かしの設定も多い。「探偵が一人も登場せず、手掛りの解明が皆無」(『ブラッディ・マーダー』p88)である。

 一方、A・E・マーチは1870年から71年にかけて《キャッスルズ・マガジン》に連載した『王手詰め』Checkmate こそが、「純粋に推理小説として構成された作品」で、「推理テーマが前編の中心主題となっている」と力説する。『推理小説の歴史』にあるこの長篇の粗筋は以下のようなものである。

 変装とアリバイ作りに天才的な手腕をもった男ロングクルーズが、社会的地位と保ちながら裏では殺人を繰り返している。ロングクルーズの犯罪を暴くため、二人の探偵役が登場する。前半の探偵は、熱狂的過ぎる言動がたたって警察をやめさせられた退職刑事で、彼はロングクルーズの犯罪の証拠を集めていくのだが、同時にロングクルーズを恐喝して、国外に追いやられる羽目になる。そのさい、集めた証拠を後半の探偵役であるアーデンに託すのだ。アーデンは個人的な理由で探偵行為を行なう紳士階級の青年であり、こうした職業探偵から素人探偵へのバトンタッチ(もしくはその逆)は、初期の探偵小説には多く見られるパターンである。『王手詰め』の探偵小説的な面白さは、ロングクルーズが外科手術によって顔を変えいたという点で、いまだ指紋が個人識別法として確立していないため、町の有力者がかつての悪人と同一人物であると証明できないのである。

 このマーチ女史による粗筋紹介を読むかぎり、なかなか面白そうな作品ではあるが、実際は「三巻の長篇小説として構想された関係上、必要な長さを埋めるために本題とはあまり関係のないいろいろな挿話が降りこまれている」(『推理小説の歴史』)ようで、シモンズは「『ワイルダーの手』に較べて、はるかに印象の薄い作品」(『ブラッディ・マーダー』p88)としている。

 平井呈一はレ・ファニュについて、「一時は「アイルランドのウイルキー・コリンズ」とまで謳われたほど、圧倒的人気をかちえた」(『吸血鬼カーミラ』解説)というが、シモンズは「生前はもちろん、現代にいたっても、その作品が人気を呼んだことは一度もなかった」(『ブラッディ・マーダー』p86)と言い切っている。本当のところがどうなのかは不明だし、怪奇小説の書き手としての評価は別として、探偵小説のめぼしい作品は残していないといえよう。しかし、探偵小説史的にはその生成に一役買った作家として、記憶しておくべきであろう。


(注1) 『娯楽としての殺人』の訳注によると、クランフォードは19世紀中頃のイギリスの田舎の生活を描いて有名な作家とのこと。また、ジョニー・ラドロウ・シリーズは1874年から1899年までに6冊の短篇集が出ている。 (本文に戻る)

(注2) 原文では Gothic Novel。次の「ゴシック・ロマン風」は Gothic mode となっている。 (本文に戻る)

(注3) 『密室殺人大百科(上)』収録のロバート・エイディー「密室ミステリ概論」による。同書の森英俊による邦訳リストでは、この作品は未訳扱いになっているが、国書刊行会『レ・ファニュ傑作集』に入っている。なお、ネットにこの作品の別題「殺された従妹」の邦訳が掲載されている。Webサイト「ミステリーの舞台裏」 の中の以下のページ→ 「殺された従妹」  (本文に戻る)


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■今回の主な参考資料


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