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■ミステリの歴史■


3.イギリス 1850年代〜1860年

(6)その後のコリンズ


 『娯楽としての殺人』のウィルキー・コリンズの項には、「ディケンズはおなじ時代のほとんどすべての作家に影響を及ぼしたが、彼に影響をおよぼした小説家はただひとりコリンズのみだったといわれている」とある。

 コリンズが犯罪をめぐる物語を書くようになったのは、ディケンズの影響だった。そして、ディケンズはそのコリンズの『月長石』を読んで対抗意識を燃やし、ひとつの小説を書くことを決心する。それが未完のまま遺作となった『エドウィン・ドルードの謎』(1870)である。

 『エドウィン・ドルードの謎』の「探偵小説的な構成」がどういうものであったかには諸説あり、創元推理文庫の小池滋による解説や、宮脇孝雄の『書斎の旅人』などに詳しく紹介されている。それらの推理は、ディケンズの小説よりも探偵小説的と言えるほどに興味深い。もちろん、ジュリアン・シモンズのように「この作品が完結したときはおそらく、純粋な意味での探偵小説というより、謎に満ちたスリラー、ウィルキー・コリンズの作品でいえば、『月長石』よりは『白衣の女』に近いと見るのが妥当なところであろう。」(『ブラッディ・マーダー』p70)という意見もある。ディケンズは結局、ディケンズである、というわけだ。

 しかし、『エドウィン・ドルードの謎』の結末がどうであれ、重要なことがひとつある。ディケンズは『月長石』に同じようなタイプの小説を、コリンズ以上にうまく書こうとしたということである。これは、作者自身の言葉や、関係者の証言から、間違いのない事実であるようだ。つまり、「探偵小説」という概念は未だないものの、それに至ったかもしれない流れが、ここに初めてあらわれたのである。

ミステリとはなにか、推理小説とはなにか、と問われても、そう簡単に答えられるわけではないが、探偵小説とはなにかという問いには、比較的容易に答えを出すことができる。「探偵を主人公にした小説」というのがその答えである。だから、『月長石』以前に探偵を主人公にした小説があれが、「世界最初の」探偵小説という称号は、そちらの作品のほうに冠せられるべきだろう。そして、たぶん、もっと古い、そんな作品はあったはずだ。それが一つの流れをつくりえなかったのは、コリンズに対するディケンズのような存在——ボールを投げて、それを受け止めてくれるような、あるいは打ち返してくれるような存在がいなかったからではないだろうか。(『書斎の旅人』p69)

 ある作品に影響をうけて、次の作品が書かれる。それに触発された作家が、それを超えるような作品を書こうとする。この繰り返しがひとつの流れを呼び、小説の流派=ジャンルは出来上がっていく。ディケンズからコリンズへ、コリンズからディケンズへ。この二人によって、ひとつの小説形式が形を取ろうとしていた。

 そして、そこには明らかにポーの影がみえる。ディケンズの『バーナビイ・ラッジ』に対するポーの書評には、「ゴドウィン氏が『骨董屋』を書くことは夢想だにし得ないように、ディケンズ氏も『ケイレブ・ウィリアムズ』のような作品をつくりあげることは不可能だったであろう。」とある。たしかにディケンズは、結末から発想して全体の構成を考えるゴドウィンのような方法は、これまでとってこなかった。また、「ディケンズのこの種の小説に、フランスの影響がないと同様、アメリカの影響もみることができない。」(『推理小説の歴史』)しかし、コリンズはそうではない。あきらかにポーの影響を受けているし、小説の構成は同時代の誰よりも見事に行なっている。『ケイレブ・ウィリアムズ』のような「構成の原理」をなしえた『月長石』に挑戦したディケンズは、はたしてどのような作品をつくり得たのであろうか。

 ディケンズとコリンズによって形造られつつあった小説形式は、アメリカで1841年に創造され、それに影響されてフランスでほぼ同じ時期に生成されつつあった小説形式とは、いくぶん違うものであった。ポーから始まりフランスで栄えた「探偵小説」と、イギリス式の「探偵小説」の違いを、A・E・マーチは以下のよう対比させている。

 ディケンス=コリンズ型は「探偵小説」がいまだ充分に熟成されない過渡期のものなのだろうか。その後の探偵小説の発展を見るとき、そこにはアメリカ型とイギリス型という別筋の流れを見ることも可能なのではないか。しかし、ディケンズの死により、イギリス型探偵小説の可能性は、ここで一旦途切れることになる。

 ディケンズを失ったコリンズは、その後、ディケンズになろうとして失敗したとされる。

(コリンズは)ディケンズ風な社会改良の意図を盛った作品を書こうとした。それは彼の特徴であったスリルとサスペンスを失う結果となり、初期に異常な名声を得た彼も、晩年にはその存在を忘れられるという不遇を経験した。(『月長石』創元推理文庫解説/中島河太郎)

 ヘイクラフトも『娯楽としての殺人』で「後年の彼の離反はかなしむべきものだ。われわれはその意図がよいものであるだけにますます、繊細な喜劇役者で同時にまた性格俳優であったこの人物がハムレットを演じようとした野心を、いたまざるをえない。」と嘆いている。

 しかし、コリンズやディケンズは、そもそも最初からスリルとサスペンス、謎解きにのみ興味があったわけでなはい。それらは小説の重要な要素であるが、それだけが重要な要素だと思っていたわけではない。

 小池滋は「最悪にして最後?/ウィルキー・コリンズと推理小説」(国書刊行会『白衣の女 III』解説)で、コリンズの小説の主役たちの多くが社会的正義の立場にいるわけではないことを指摘する。

 (コリンズの小説では)読者としては、安易に作中の善人と自分を同一視することに躊躇せざるを得ない。そんなことをすれば、自分を健全な社会の一員として、大多数の隣人と同じ側に置く快感を味わうことができなくなってしまうからだ。自分を社会から疎外された悪人の側に置くことは、正義の味方であると自称したい読者にとっては、何とも困った、不愉快なことではないか。(中略)

 こう考えてみると、推理小説の中にスカッとしたカタルシス、快い代償的満足を求めようとする読者にとって、コリンズの作品は「最良」どころか、最悪の推理小説に思えるだろう。しかし、いわゆる本格ものの中にうさん臭さを嗅ぎとり、その息づまりを感じる読者にとっては、彼の小説はそれにとって代わるべき、袋小路の突破口ともなってくれるものと思われよう。推理小説の「最初」であるとともに、その最後の到達点を先取りした作品と言ってもよいのではないか。

 (中略)本格探偵小説(あるいは推理小説)などという固定したジャンルにこだわり、そのカテゴリーを精緻に厳密に守ろうとする作家は、長い文学の歴史から見ると、ほんの束の間の日蝕でしかない。時間的にはディケンズやコリンズはその前に位し、アンブラーやハメットやチャンドラー、松本清張や水上勉はその後に現れたのであるが、そこにどれほどの差異があるだろうか。

 前にウィリアム・ゴドウィンのゴシック小説『ケイレブ・ウィリアムズ』を評した由良君美の「このイギリス恐怖小説社会派の鼻祖は、わが松本清張に、時として、あまりにも似ている。」という言葉を紹介したが、こうしてイギリスの探偵小説の流れを見ていくと、社会的なテーマの内包は、そもそも「探偵小説」に不可欠な要素だったのではないかと思えてくる。なぜ探偵小説で解かれるべき謎が犯罪に関したものでなければならないのか。もちろん、センセーショナルな題材だからだ。しかし、犯罪が社会悪を描くのに最も適した題材であることも、同じように正しいように思われる。

 社会悪の追求なんて辛気臭いテーマは、探偵小説には必要ない。そんなものは、探偵小説を「高級」にしようとするくだらない文学志向であって、無意味である。そんな下心なんぞ持たずに、探偵小説は純粋に謎を解く快感のみを追求してもらいた。こういう意見に、わたしはまったく賛成である。その通りだと思う。一夜の楽しみ以上のものを、探偵小説に求めようとは思わない。しかし、歴史を見ると、残念ながらどうもそうではないのである。こういう考え方は、英国探偵小説の流れからいうと、異端にならざるをえない。あるいは、アメリカ=フランス型探偵小説がそれにあたるのかもしれない。

 とはいえ、コリンズはその後もいくつかの探偵小説を書いている。

 コリンズは『月長石』(1868)で近代推理小説の基礎を築いたわけであるが、それ以後は今日の我々が推理小説と考えるような作品、つまり、ある犯罪が起こってその犯人は誰かという興味が物語の中心にあるような小説、はそう数多く残していない。長編では『法と淑女』『私はノーと言う』(1884)、中編で『奥様のお金』(1878)、短編も「誰がゼビディーを殺したか?」(1880)くらいであろう。『私はノーと言う』は娘が父親を殺した犯人を捜す話で、悪くはないのだが、結末のひねりを含めて、基本的に『法と淑女』の間延びした焼き直しである。『奥様のお金』では、さる貴婦人の居間から500ポンドが盗まれ、警察の捜査がお手上げとなった後、資格を剥奪された弁護士の老シャロンが雇い入れられる。そこからある程度論理的な推理が展開されるが、究極的に彼が事件を解決するのではなく、しかも、犯人が意外でも何でもないのにはがっかりさせられる。「誰がゼビディーを殺したか?」は題が示す通りの謎が中心となる物語で、ひねった工夫もある面白い短編である。これらの作品の中でも『法と淑女』は群を抜いた出来映えを示している。(『法と淑女』解説/佐々木徹)

 『天の猟犬』によれば、『奥様のお金』に登場する老シャロンは、ガボリオーのタバレ爺さんをモデルにした人物だという。小説のなかでシャロン爺さんはフランスの小説を読んでいて、自分によくにた老人がでてくる、と語るらしい。『ブラッディ・マーダー』でも「コリンズはフランス人作家エミール・ガボリオを敬愛し、その著作を書架に揃えていた。」とある。コリンズに影響を与えたのはポーとディケンズだけではなかった。探偵小説黎明期のフランスの作家を忘れてはいけない。


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