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■ミステリの歴史■


4.フランス 1840年代〜1860年

(6)エミール・ガボリオーのルコック探偵シリーズ


 ガボリオーの略歴について、簡単に触れておこう。

 エミール・ガボリオーは、1832年にフランス南西部の町ソージョンで生れた。公証人だった父親について各地を転々としたのち、1851年に騎兵隊に入隊。数年で除隊したのちパリに出て、1857年にジャーナリストとなる。それから数年、新聞や雑誌に時評、歴史エッセイ、風俗小説、家庭小説などを書いていたが、ほどんど評判にならなかった。1860年代初頭に人気作家ポール・フェヴァルの知遇を得たガボリオーは、フェヴァルの小説のネタさがしに警察や裁判所で犯罪事件の取材をし、ヘイクラフトによれば「主人に酷使される『代作者』だったのだろう」という。

 こうして得た警察機構や裁判手続きの知識をもとに、1865年に『ルルージュ事件』を《ペイ》紙に発表する(注1)。このときはまったく黙殺されたが、《プチ・ジュルナル》の創始者モイーズ・ミヨーがこれを評価し、かれが創刊したもうひとつの新聞《ソレイユ》紙に1866年4月からあらためて掲載。これが読者の評判がよかったため、ひきつづき同年10月から《ソレイユ》と《プチ・ジュルナル》に『オルシヴァルの犯罪(河畔の悲劇)』が連載される。以後、連続して『書類百十三号』(1867連載)、『パリの奴隷たち』(1867-68連載)、『ルコック探偵』(1868連載)とつづくルコック探偵シリーズが《プチ・ジュルナル》紙上をかざる。

 人気作家となったガボリオーだが、もともと身体が弱かったらしく、当時の新聞小説作家に求められる過激な執筆量についていけなかったのか、1873年に満四十歳で死亡した。前記のほか、『首の綱』(1872-73連載)、『他人の銭』(1873連載)、死後出版された短篇集『バチニョルの小男』(1876)などが探偵小説とその周辺書とされている。

 『ルルージュ事件』は一般に、「世界最初の長篇探偵小説」とされている。もちろん、何をもって「探偵小説」とするか、というのはさまざまな意見があり、一概には決められない。コリンズの『白衣の女』(1860)にも探偵小説的な要素は多分にあった。また、宮脇孝雄が『書斎の旅人』で述べたように、「ミステリとはなにか、推理小説とはなにか、と問われても、そう簡単に答えられるわけではないが、探偵小説とはなにかという問いには、比較的容易に答えを出すことができる。「探偵を主人公にした小説」というのがその答えである。」とするならば、ジュリアン・シモンズが指摘している『ノッティング・ヒルの怪事件』(1862-63連載)をもってくることも出来るだろう。しかし、長篇探偵小説に登場したシリーズ・キャラクターということならば、現在知られるかぎり、ムッシュ・ルコックをもってその嚆矢とすべきである。

 ガボリオーをもって「探偵小説の祖」とする考えは、わが国に探偵小説が紹介された当初にあった。中島河太郎の『推理小説展望』の「探偵小説の定義」に紹介されている井上十吉の見解がそれである。

探偵小説の始祖は一般にエドガー・アラン・ポーだと認められているが、(中略)彼の三つの有名な小説は、今日の謂う探偵小説とは余程違ったものである。(中略)厳密な意味に於いての探偵小説を初めて書いた人、即ち倦む事を知らぬ敏捷な探偵が、犯罪の真の秘密を解決する小説を初めて書いた人としての栄冠はエミール・ガボリオーに与えなければなるまい。(「バルザックとディケンズ」新青年大正11年8月増刊/『推理小説展望』より孫引き)

 「これはセイヤーズ女史が探偵小説を分って三とした一つ、純粋論理の作品を探偵小説と認めるか否かにかかっていよう。」(『推理小説展望』)と中島河太郎はコメントをしている。確かにポーの作品には探偵役の推論はあっても、探偵が事件を捜査し、それにしたがって謎が深まったり、謎が解かれていくという面白さは希薄である。探偵による探偵行為が小説の中心的主題となっている小説を「探偵小説」とする、すなわち以前述べた「推論の物語」と「捜査の物語」という区分のうち、後者をもって「探偵小説」とするわけだ。これもまた、ひとつの見識であろう。そうであるならば、ウォーターズという先例はあるにせよ、ガボリオーを「探偵小説の祖」とする説も、あながち見当はずれとはいえない。

 では、その最初にルコックが登場する『ルルージュ事件』はどんな小説なのか。現在、日本語では容易に読むことの出来ない(注2)。この作品の概要を、東都書房版世界推理小説大系の解説と、『推理小説の源流』からまとめてみよう。

 一人暮らしの未亡人クロディーヌ・ルルージュが殺害され、警察官たちが現場にかけつけた。その中に若きルコックもいて、タバレ老人を呼ぶことを上司に進言する。タバレは引退した裕福な老人だが、素人探偵としても著名で、今回も犯行現場を調べ、さまざまな物証や痕跡から犯人像や犯行手口をあきらかにしていく。事件の背後には、20数年前におこった伯爵家の嗣子となる赤ん坊のすり替え事件があることがわかる。ルルージュ未亡人はかつて赤ん坊の乳母であり、すり替え事件の鍵を握っていたために殺されたらしい。タバレ老人は最初は別な容疑者を犯人と考えるが、最後はアリバイがあるかに思われた人物が実は犯人であることをつきとめる。

 この第一作ではルコックはほとんど活躍せず、彼の師タバレ老人が探偵役となる。第二作からルコックが探偵役となるのだが、シモンズによると、ガボリオーがこうした方法をとったのは、当時のフランス人に警察への極度の反感があったためだという。

フランスではイギリス以上に、警察官への反感が強かった。その理由の一半は、彼らが明らかに政治権力のために働く民衆抑圧勢力の手先であったこと、あとの半分は彼らのあいだにヴィドック流の捜査活動に伴う腐敗ぶりがひどかったからだ。フェヴァルには当然ながら、警察官を主人公にする考えはなかった。(中略)
 ガボリオはルコックを主役にするにあたって、読者の口に苦い丸薬に砂糖のころもをまぶすことにしたのだ。

 シモンズは、ガボリオーが最初からルコックをシリーズ探偵とする予定だったように書いている。最初は端役として登場させてご機嫌をうかがい、読者に馴染ませておいてから主役にすえるという手順を踏んだというわけだ。確かに『推理小説の源流』にも、発表が最後となった『ルコック探偵』は、第一作と同時期に執筆されていたとある。

 しかし、そうはいってもルコックの風貌には、ヴィドックの影が濃厚である。ルコックは変装の名人であり、また『ルルージュ事件』ではもともと犯罪者だったが、それを悔いて警察官になったことになっている(らしい)。変装の名人で、もと犯罪者の警察官とくれば、誰しもヴィドックを想起するだろう。もっとも、この経歴はのちの作品では変更される。それによると、若い頃にさまざまな職についたルコックは、最後に天文学者の助手となる。そこで、犯罪について夢想するうち、確実に成功し、かつ論理的には絶対に罰せられない犯罪の方法を思いつく。それを聞いた天文学者は「お前は名だたる犯罪者か刑事になるしかない」と彼を追い出し、こうしてルコックは刑事になったというのである。探偵にならなかったら天才的犯罪者になっただろう、というこのエピソードは、ホームズをはじめのちの名探偵の性格付けを思い出させる。

 さらにルコックの師とされるタバレ老人である。ガボリオーの創造した人物では、この素人探偵の方が興味深い。タバレはもともと質屋を営んでいて、老いた父親を養うために遊びも恋もあきらめて、つましい暮らしをしていた。ところが父親が死ぬと、じつは彼は途方もない金持で、多額の年金のほかに広大な地所も所有していたことがわかる。父親は息子のためを思って、貧しいふりをし、倹約を教えようとしたのだ。タバレは一夜にして大金持ちになるが、失った青春はもどらない。悠々自適の生活をしようとしても、一ヶ月で飽きてしまう。そこで、古書蒐集にのめりこみ、なかでも警察官の回想録から探偵熱を吹き込まれる。『推理小説の源流』によれば、実際にフランスでは1830年代に退職した警察官の回想録がいくつも出版されていたらしい。(注3)

(タバレは)警察という謎めいた権力に魅きつけられていった。(中略)
 クーパーの小説に登場する未開人たちがアメリカの森のなかで敵を追いかけるように、刑事たちは合法性という薮のなかに法律書を手に、犯罪を追及する。このすばらしい機構の一員となり、自分もまたこの小さな奇蹟の一部となって、犯罪の処罰と無実の勝利に貢献したいという気持ちが芽生えた。(『ルルージュ事件』/『推理小説の源流』より引用)

 ここでは、都市の犯罪を追いかける刑事たちが、かすかな痕跡をたどって獲物を追うアメリカ先住民になぞらえられている。

 こうしてタバレ老人は警視庁を訪れ、協力を申し入れる。最初は迷惑がられるが、迷宮入りしそうになった事件を見事、解決に導く。

この事があってから数年間は、難解な事件がある度ごとに呼びだされ、意見をきかれた。しかし、彼は警視庁に雇われているとは言えなかった。任官を口にする者も、俸給を口にする者もいたが、この風変わりな警官はびた一文も受け取ろうとはしなかった。こんなことをするのは彼の喜びのためであり、光栄であり、そしてまた、名誉であったのだ。(『ルコック探偵』p79)

 警察の協力者となる素人探偵という構図は、もちろんポーのデュパンを原型としている。そしてデュパンより大衆化されているだけ、より一層、のちの名探偵たちの原型となったといえるだろう。

 タバレ老人は天才型の名探偵である。『ルルージュ事件』では、犯罪現場を見ただけで犯人像を言い当てる。『ルコック探偵』では、行き詰ったルコックから話を聞いただけで、失敗の原因を指摘する。

 しかしガボリオーはタバレ老人を主役にしてはシリーズを続けなかった。第二作以降は警察官であるルコックが主役となる。ルコックはタバレから学んだ推理の手法を実践し、現場に残された痕跡から犯人像を割り出す。しかしそれだけではない。ルコックは行動の人なのだ。

デュパンだったら、居ながらにして事件を解決したのに満足するにとどまるだろうが、ルコックは「アームチュア探偵」ではなかった。彼はひきつづき叫ぶのである。「手掛かりをつかんだぞ。この手掛かりで真相をつきとめよう。前進あるのみだ!」(『ブラッディ・マーダー』)

 ポーの「謎を探偵が論理的な推論によって解決していくプロセスを読者に提示するという形式」(『推理小説の源流』p83)に、「痕跡と追跡のゲームを現代の都市空間に移植し、犯罪と捜査を語り、都市(とりわけパリ)のなかで犯罪者を追いかけるという説話パターン」(同前)を付け加え、ルコック探偵は創造された。

 タバレが師であり、ルコックは弟子である。素人探偵から職業探偵にバトンは渡された。それはひとつの流れのはじまりでもあった。


(注1) 1863年とした資料もある。 (本文に戻る)

(注2) 国書刊行会から刊行の予定がある。 (本文に戻る)

(注3) これからすると、ヴィドックの『回想録』のあと、フランスでは本物の退職警察官が「回想録」を書き、英国では「刑事の回想録」ものがあらわれた、という構図を見ることができる。ガボリオーが影響をうけたのは、前者ということも考えられる。 (本文に戻る)


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