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■世界ミステリ史概説■

1.探偵小説の源流(1841年まで)


 ミステリ(探偵小説)の源流をたどると、およそ三つの系統に集約できる。その三つの系統とは「謎物語」、ピカルーン・ロマンス(悪人の物語)恐怖小説である。

 「謎物語」とは、知恵をもちいて手掛りから謎を解き、危機を脱出したり悪人をこらしめたりする物語で、多くの神話や民間伝承にその例を見ることができる。代表的な例としては、聖書外典の「スザンナの物語」「ベルとドラゴン」ヘロドトス『歴史』の中のランプシニトス王の挿話、長編叙事詩『アエネーイス』「ヘラクレスとカクスの物語」などがあり、そこでは、証言の矛盾から奸計を見破ったり、足跡などの痕跡から初歩的な推理をしたり、あるいは偽の手掛りで罠にかけたりする逸話が語られる。こうした物語は「千夜一夜物語」、「イソップ童話」チョーサー『カンタベリー物語』などにも含まれている。この系統にある作品で著名なのは、ヴォルテール『ザディック』(1747)であろう。その一エピソードで主人公の賢者ザディックは、現地に残された痕跡を手掛りにして、見たことのない犬と馬の特徴を言い当てた。こうした「謎物語」は、ジェイムズ・フェニモア・クーパー『モヒカン族の最後』(1826)などに登場する、足跡から獲物を追跡するアメリカ原住民の物語にまで受け継がれていく。

 源流の二つ目は、悪人の物語の流れである。悪人の行状を描く物語の歴史も古く、世界各国にさまざまな例があるが、代表的なものでは16世紀のスペインで始まったピカレスク小説が挙げられる。これが各国に拡がって、フランスのル・サージュ『ジル・ブラス』、イギリスのヘンリー・フィールディング『大盗ジョナサン・ワイルド伝』(1743)などが書かれた。またイギリスで1770年頃にまとめられた「ニューゲイト・カレンダー」は、18世紀初頭以来ロンドンのニューゲイト監獄に収監された実在の凶悪犯の生い立ち、犯罪の動機、裁判の経過、処刑の様子などを書いた出版物で、「悪人の物語」ということでは同じ流れとしてとらえられる。「ニューゲイト・カレンダー」は犯罪者の哀れな末路を示して人々を善導する目的があったとされるが、これを題材として19世紀前半にイギリスで流行した〈ニューゲイト・ノヴェル〉はむしろ、悪人の行状を同情的に、また英雄的に描くことで、社会矛盾を示そうとしたものであった。エドワード・ブルワー『ポール・クリフォード』(1830)や『ユージン・アラム』(1832)、ウィリアム・ハリソン・エインズワース『ジャック・シェパード』(1839-40)などが代表作で、チャールズ・ディケンズ『オリバー・ツイスト』(1838-39)もこれに含まれる。日本でも江戸時代から明治期にかけて白波もの、毒婦伝などが流行している。こうした悪人物語は後のロカンボールファントマルパンなどのフランス怪人や、ラッフルズなどの強盗紳士につながり、その末裔にはパトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』(1955)に登場するトム・リプリーや、リチャード・スタークの『悪党パーカー/人狩り』(1962)の常習犯罪者パーカーらがいる。

 フランスの盗賊あがりの探偵ヴィドックが著した『回想録』(1828-29)もピカルーン・ロマンスの系統でとらえることが出来るだろうが、また同時に、探偵が悪人を捕らえる物語でもあった。ヴィドックの悪の魅力はバルザックヴィクトル・ユゴーなど同時代のフランス作家にも影響をあたえた。また探偵の自叙伝という面では、イギリスで1850年代から世紀末にかけて数多く出版された「刑事の回想録」ものに繋がっていく。これは実在の刑事が自らの経験を語るスタイルをとっているが、実際はすべて創作であった。アメリカのピンカートン事件簿(1874〜)もこの流れで捉える事ができるだろう。ピカルーン・ロマンスは、実在の犯罪者や犯罪実話と密接に関係して発展してきたが、この実話の系統の支流として、こうした「実在刑事もの」はやがてリアリスティックな刑事物語である警察小説にまで、その流れを見ることができる。しかし、19世紀前半には、まだ賊を捕らえる職業は権力の手先とされ、民衆のヒーローにはなり得なかった。

 さて、源流の三つ目は、恐怖小説の系統である。これも人類の歴史と同じくらい古く遡れるだろうが、ミステリの歴史に直接関係するのは、イギリスで18世紀末から19世紀初頭に流行したゴシック小説である。「暗黒の中世」への回顧的ロマンティシズムから発生した「ゴシック」趣味は、ホレス・ウォルポール『オトラント城奇譚』(1764)により、文学にも取り入れられた。ゴシック小説は亡霊のいる古城、地下窟、墓地、土牢、殺人、強姦、妖魔の棲む森、などなどの舞台装置を用いて、読者の扇情的な興味を刺激した。やがてアン・ラドクリフ『ユードルフォの謎』(1794)、『イタリアの惨劇』(1797)などが人気を呼ぶ。ラドクリフ夫人の作品は、怪奇現象に合理的な種明かしを示したもので、推理の物語ではないが、怪奇な謎を超自然現象としない点では近代の探偵小説につながる要因を持っている。

 探偵小説史の面からゴシック小説の中で重要なのが、ウィリアム・ゴドウィンの政治的小説『ケイレヴ・ウィリアムズ』(1794)である。この作品には、主人の過去の犯罪をさぐる青年が登場する。探偵行為が物語の主たる要因となっていることだけでなく、ゴドウィンがこの小説を書いた方法が大きな意味を持つ。それは結末を先に考え、それを効果的ならしめるために全体を構成する方法なのだが、これがポーに影響を与え、探偵小説が生成していくことになる。またこの作品は、「ニューゲイト・カレンダー」に題材を求めている点で、ピカルーン・ロマンスとゴシック小説をつなぐ役割もはたしている。

 ゴシック小説はやがてアメリカにわたり、C・B・ブラウンホーソーンポーハーマン・メルヴィル、さらにはウィリアム・フォークナーへと連なるアメリカン・ゴシックの流れを形作っていく。一方、イギリスでは1820年以降、ゴシック小説は廃れたものの、『ケイレヴ・ウィリアムズ』は1830年代のニューゲイト・ノヴェルに影響をあたえているし、19世紀後半のセンセーション・ノヴェルにもゴシックの影響は大きい。またアン・ラドクリフ型のゴシック小説はシャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』(1847)やデュ・モーリア『レベッカ』(1938)を経て、HIBK派(もし知ってさえいたら派)の流れに受け継がれていく。

 これら三つの源流が、1841年にひとつに合わさって、探偵小説というジャンルが登場するのである。


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