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■世界ミステリ史概説■

6.ジャンルの発展と拡散(1950-1959)


 1950年代になると、ハードボイルド派の作家に世代交代が見られるようになる。チャンドラー『長いお別れ』(1953)を発表したものの、1959年には他界した。ジョン・エヴァンスやウェイド・ミラーは沈黙。スピレーン『燃える接吻』(1952)以降、長い休筆にはいる。ハードボイルドが生れた土壌である《パルプ・マガジン》は、第二次世界大戦を境にして急速に衰退し、かわって登場したのがポケットサイズの軽装本、いわゆるペイパーバックであった。最初は古典的名作の廉価版が中心だったが、やがてオリジナル作品も出版するようになる。戦前から活躍していたA・A・フェア(E・S・ガードナー)やフランク・グルーバーなどの流れを受け、ハードボイルド派の粋なセリフをユーモラスに誇張した文体が登場するのもこの頃で、1940年代の終りから1950年代にかけて、銃と軽口がうまく女にもてる私立探偵が、おもにペイパーバック・オリジナルで大量にあらわれた。『マーティニと殺人と』(1947)でピーター・チェンバーズを登場させたヘンリイ・ケイン『消された女』(1950)でシェル・スコットを登場させたリチャード・S・プラザー『のっぽのドロレス』(1953)でエド・ヌーンを登場させたマイクル・アヴァロンThe Second Longest Night (1955)でチェスター・ドラムを登場させたスティーヴン・マーロウなどが代表的な作家である。極め付きはオーストラリア作家のカーター・ブラウンで、1958年からアメリカのペイパーバックに登場し、健全なお色気とユーモアにあふれた作品を、毎月一冊という驚異的ペースで発表した。また、G・G・フィックリング『ハニー貸します』(1957)で登場したハニー・ウェストはセクシーな女性私立探偵として人気を博し、テレビ・シリーズにもなった。

 これらお気楽私立探偵が活躍するなかで、アメリカの社会問題に対峙していく私立探偵もいなくなったわけではない。1947年にシカゴのマックを創造したトマス・B・デューイや、1949年にリュー・アーチャーを創造したロス・マクドナルドは、1950年代から60年代にかけて作家的成長をしていく。エド・レイシイ『ゆがめられた昨日』(1957)で黒人私立探偵トゥセント・モーアを、チェスター・ハイムズ『イマベルへの愛』(1957)で黒人警官コンビ、棺桶エドと墓堀ジョーンズを登場させたのも、この時期である。また、ジム・トンプスン『内なる殺人者』(1952)などの作品で人間の暗黒面を描いた。

 チェスター・ハイムズのエド&ジョーンズものを最初に刊行したのは、フランスの《セリ・ノワール》(暗黒叢書)だった。1945年からアメリカのハードボイルド系作品を多く翻訳紹介していたこの叢書の人気から、《アン・ミステール》(1949〜)や《スペシャル・ポリス》といった叢書も刊行される。フランス人の行動派私立探偵ネストール・ビュルマが活躍するレオ・マレ作品(1943〜)を先駆として、1950年代になるとフランス独自の「ハードボイルド」小説が現れる。『男の争い』(1953)のオーギュスト・ル・ブルトン『現金(げんなま)に手を出すな』(1953)のアルベール・シモナン『穴』(1957)のジョゼ・ジョヴァンニらが代表的な作家で、隠語を多用して暗黒街や前科者の世界を描いたこれらの作品は、やがて《ロマン・ノワール》と呼ばれるようになる。1949年からサン=アントニオ名義で多くの作品を書いていたフレデリック・ダールも、この時期、ノアール作品を発表している。また、日本でも1950年から数年の間に、ハメット、チャンドラー、スピレインの代表作が立て続けに紹介され、同時期の映画の影響もあって、「ハードボイルド」という言葉は急速に浸透していった。そして、ともに1935年生れの三人の作家が登場する。高城高(こうじょう・こう)は短篇「ラ・クカラチャ」(1958)など叙情的な筆致のハードボイルド作品を書き、大藪春彦は処女作『野獣死すべし』(1958)以降、タフで非情な主人公がアクションを繰り広げる作品を、河野典生は短篇集『陽光の下、若者は死ぬ』(1960)にまとめられる作品を発表した。

 1950年代に発展したのが心理サスペンス・犯罪小説である。多くの有力な新人が登場し、犯罪者の側から事件を描く手法にさまざまな創意工夫をもたらした。アメリカでは、パトリシア・ハイスミスが処女作『見知らぬ乗客』(1950)や『リプリー』(別題/太陽がいっぱい)(1955)で、犯罪を実行する者の心理を克明に描いた。アイラ・レヴィンはこれまでのミステリの技術を総ざらいして『死の接吻』(1953)を構成し、ビル・S・バリンジャーの代表作『歯と爪』(1955)はカットバック手法を用いて新味を出している。1940年代から活躍する作家では、マーガレット・ミラーがMWA最優秀長篇賞の受賞作『狙った獣』(1955)を、パトリック・クェンティンが『二人の妻をもつ男』(1955)を発表し、意外性のある技巧的プロットに成熟を示した。イギリスのアンドリュー・ガーヴは処女作『ヒルダよ眠れ』(1950)で、妻が何故殺されたのかをさぐっていく物語を書き、シリア・フレムリンは一主婦の視点で犯罪者を見つめるデビュー作『夜明け前の時』(1958)でMWA最優秀長篇賞を受賞した。シェリイ・スミスジュリアン・シモンズは1940年代から活躍していたが、この時期に作風を変化させ、犯罪に至るまでの過程をより重視するようになった。前者は異色作『午後の死』(1953)で説話スタイルに離れ業を見せ、後者の『殺人の色彩』(1957)は殺人事件前後の容疑者の運命を描き、CWAゴールド・ダガーを受賞した。また、シモンズは評論家としてもイギリス・ミステリ界をリードしていった。

 フランスでも戦後ミステリ界を代表するような作家が次々とデビューする。多くの作品は、意外性のあるプロットをサスペンスを重視して描いている。『死の匂い』(1953)で登場したカトリーヌ・アルレーは、『わらの女』(1956)でひとりの女性の視点から完全犯罪成就の過程を語る。すでに単独で名を成していたピエール・ボアローとトーマ・ナルスジャック『悪魔のような女』(1952)からコンビを組んで新境地に挑み、「ポラール polar (注1)の帝王」と呼ばれたミッシェル・ルブランはノワール風味の心理サスペンス『殺人四重奏』(1956)でフランス推理小説大賞を受賞した。また、この三人は評論や研究の分野でも、多くの仕事をなした。のちにユーモア・ミステリで新境地を見せるシャルル・エクスブライヤは、冒険小説大賞(注2)受賞作『パコを憶えているか』(1958)を発表し、フレッド・カサックもサプライズ・エンディングで知られる『殺人交差点』(1957)をものしている。

 1940年代までにいくつかの萌芽を見せた歴史ミステリも、この時期に大きな発展をする。ジョン・ディクスン・カー『ニューゲイトの花嫁』(1950)から過去を舞台にしたミステリ作品を書き始めたのである。オランダのファン・ヒューリックは古代中国を舞台に、実在のディー判事を主人公にして『中国迷路殺人事件』(1951)などを発表。歴史上の人物や事件を用いて謎解き作品に仕上げる手法は、1970年代のピーター・ラヴゼイエリス・ピーターズの登場を経て、イギリスで一大ブームとなる。日本でも同時期に、紫式部と清少納言が推理比べをする岡田鯱彦『薫大将と匂の宮』(1950)や、金瓶梅の世界を謎解き小説として再構成した山田風太郎『妖異金瓶梅』(1954-59/雑誌発表)、江戸時代の長崎出島を舞台にした多岐川恭『異郷の帆』(1961)などが発表された。また、ジョセフィン・テイ『時の娘』(1951)は名探偵が歴史上の謎を解く小説だが、同趣向としては高木彬光『成吉思汗の秘密』(1958)があるものの、世界的に類例は少ない。また、過去ではなく未来を舞台にした謎解き作品に、アイザック・アシモフ『鋼鉄都市』(1953)ほかのロボットものがある。作品内にだけ有効なルールを設けて論理を展開する趣向は、1960年代のランドル・ギャレットダーシー卿シリーズを経て、1990年代以降、日本でも多くの作例が試みられている。

 1940年代後半に長篇本格探偵小説の時代を迎えた日本だが、1950年代前半には横溝正史をのぞいて創作が低迷する。そのかわりに欧米ミステリの翻訳が活況を呈した。新樹社、雄鶏社、早川書房、日本出版共同、東京創元社などがきそって海外ミステリの叢書を刊行し、《宝石》も長篇翻訳の一挙掲載を数多く行う。さらに《EQMM》日本語版(1956〜)、《マンハント》(1958〜)、《ヒッチコック・マガジン》(1959〜)と翻訳ミステリ専門誌が三誌も登場して、翻訳ブームは1960年代前半まで続いた。

 そうした海外ミステリを受容しつつ、1950年代後半(昭和30年代)にはいると、怪奇幻想味を廃した現代的な作風の作家が次々と現れる。1940年代から作品を発表していた鮎川哲也『黒いトランク』(1956)で再デビューしたのを皮切りに、『猫は知っていた』(1957)の仁木悦子『点と線』(1958)の松本清張『天狗の面』(1958)の土屋隆夫『ひげのある男たち』(1959)の結城昌治『一本の鉛』(1959)の佐野洋らが登場した。彼らの多くは謎解きを中心としつつも、それにさまざまな工夫をこらして新味をだした。なかでも、急速に変化する当時の日本のさまざまな社会的歪みをテーマにした松本清張の作風は、『四万人の目撃者』(1958)の有馬頼義『霧と影』(1959)の水上勉を含めて「社会派推理小説」と呼ばれ、一世を風靡した。

 新しく登場したジャンルに警察小説 Police Procedural がある。警察の捜査活動をリアルに描写するこのスタイルは、ローレンス・トリート『被害者のV』(1945)が嚆矢とされ、1949年にラジオで、1952年からはTVで人気を博した刑事ドラマ「ドラグネット」の影響もあって、1950年代に英米で大きく発展した。まずアメリカでは、トマス・ウォルシュ『マンハッタンの悪夢』(1950)や『深夜の張り込み』(1952)でリアルな警察活動を活写し、ヒラリイ・ウォー『失踪当時の服装は』(1952)で一人の警察官が事件の謎を解いていく過程を克明に描いた。ウィリアム・P・マッギヴァーン『殺人のためのバッジ』(1951)など、悪徳警官を主人公に社会的テーマを前面に出した作品を発表する。一方、イギリスでは、元警察官のモーリス・プロクターが1947年にデビュー、『ペニクロス村殺人事件』(1951)や『この街のどこかに』(1954)などでリアルな警察官を登場させた。またジョン・クリーシーJ・J・マリックの筆名で、『ギデオンの一日』(1955)などのギデオン警視シリーズを開始したが、これはひとつの警察署でおこるさまざまな事件を並行して描いていくモジュラー形式を採用している。こうした警察小説の集大成が、『警官嫌い』(1956)からはじまるエド・マクベイン87分署シリーズで、ニューヨークをモデルにした架空都市を舞台に、そこで生きる様々な人々を、事件を追う刑事たちの目を通して描いていった。87分署シリーズが捜査書類や現場写真などを編中にちりばめてリアリティを出そうとする一方で、ミッシンク・リンク、密室殺人、衆人環視の中での殺人、怪人対名探偵など、ミステリの歴史が生み出したさまざまなパターンを扱っているように、警察小説は古典的探偵小説を新しい器にいれたものと見ることもできる。ヒラリー・ウォーの作品にも謎解きの要素が強く、またイギリスの警察小説は、ロンドン犯罪捜査課の刑事が事件を解決に地方へ赴くような謎解きタイプの作品も指すようになった。フランスでも、一時中断していたシムノンメグレ・シリーズが1947年から再開し、1950年代に多くの代表作が生れた。こうした流れの中で見ると、松本清張『点と線』(1958)や『砂の器』(1961)、水上勉『海の牙』(1960)など、いわゆる「社会派」の一部の作品は日本の警察小説としてとらえることができる。

 マクベインが古典的探偵小説のプロットを警察小説という形式で復活させたように、、イァン・フレミングは古典的なスリラーの要素、すなわち美女と怪人の登場する国際的陰謀の物語を、冷戦時代の国際情勢を背景に、現代的なスパイ小説として復活させた。『カジノ・ロワイヤル』(1953)から始まる英国情報部員007号ジェイムズ・ボンドの物語は、現代のフー・マンチューが登場する『ドクター・ノオ』(1958)が1962年に映画化されるや世界的なブームとなり、1960年代にはスパイ小説の隆盛を迎える。

 1950年代の短編小説は、トマス・フラナガン「アデスタを吹く冷たい風」(1952)を始めとするテナント少佐シリーズや、ジェイムズ・ヤッフェ「ママは何でも知っている」(1952)で登場するブロンクスのママ・シリーズなどの謎解き小説の名作のほか、短篇集ではフレドリック・ブラウン『真っ白な嘘』(1952)、ロアルド・ダール『あなたに似た人』(1953)、スタンリイ・エリン『特別料理』(1956)という歴史的名著が刊行されている。

 この時代以降のミステリの歴史は、さまざまなサブ・ジャンルが互いに影響を与えながら発展していき、もはやひとつの流れとしては語れなくなる。裾野は限りなくひろがっていくように見えるが、それでもなお、ほとんどの作品のモチーフは、「犯罪に関る謎が解かれていく興味」のヴァリエーションと捉えることができる。


(注1) フランスのミステリの総称 (本文に戻る)

(注2) 古典的探偵小説中心の《マスク叢書》が創設した賞で、名前からの印象と違い、いわゆる「本格ミステリ」に与えられる。松本清張の『点と線』やポール・アルテはこの叢書で刊行され、夏樹静子の『第三の女』は同賞を受賞している。 (本文に戻る)


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